黄巾の乱
桃園の誓い
曹操、董卓暗殺を企てる
美女連環の計
曹操、皇帝を傀儡とする
呂布の死
官渡の戦い
的驢、壇渓を飛ぶ
三顧の礼
長坂橋の戦い
孫劉同盟
赤壁の戦い
司馬懿、周ゆの死、ほう統
渭水の戦い
落鳳坡でほう統が死ぬ
劉備が蜀をとる
定軍山の戦い
劉備、漢中王になる
関羽の死、曹操の死
夷陵の戦い、張飛の死
劉備が死に、劉禅が蜀の皇帝に就く
北伐開始、出師の表
泣いて馬謖を斬る
司馬懿が大都督となる
孔明の死
三国時代の終焉と晋の中華統一
官渡の戦い
曹操は袁紹討伐のため、白馬で袁紹軍と対峙した。
曹操の配下で元は呂布の臣下だった張遼(ちょうりょう)は関羽と共に、袁紹軍の文醜、顔良と戦って打ち倒した。
袁紹配下としてこの戦いの最中にあった劉備は、その場を脱し、南方へと落ち延びた。
劉備の無事を知った関羽は曹操の元を辞して、劉備との合流を果たした。
その頃、曹操は袁紹軍の食糧貯蔵庫のあった烏巣(うそう)を襲撃してこれを焼き討ち、混乱した袁紹軍は官渡で曹操軍に大敗を喫して撤退した。
官渡の戦いで大敗した袁紹は大きく後退を強いられ、2年後に病死した。
袁紹の後を継いだのは三男の袁尚(えんしょう)だったが、長男の袁譚(えんたん)はこれに不服で、二人は対立した。
曹操は袁尚と袁譚の争いに乗じてこれを攻めた。
まず先に袁譚が曹操に降伏し、袁尚は次男の袁煕(えんき)と共に更に遼東半島を支配していた公孫康(こうそんこう)を頼って落ち延びた。
しかし、曹操を恐れていた公孫康は二人をだまし討ちにし、その首を曹操に届けた。
袁氏は滅び、曹操は河北をその支配下において自身の権力を確立した。
曹操が袁氏を攻め滅ぼした頃、劉備は南方、荊州を支配していた劉表のもとに身を寄せていた。
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